最近、何かと話題の専門医のお話です。
または、外科系であれば、専門医ともなれば手術も上手に違いない!というイメージでしょうか?
一般の方には、非常に残念なお知らせなのですが、専門医とはそのような類いではございません。
診療がまったく得意ではない医師、手術もまったくできない医師、そして経験がまったくもって十分とは言えない医師が、専門医として沢山いるのが現状なのです。
専門医の実際と一般的なイメージの乖離
専門医がただの医師の役割分担を表す名札にしかすぎなくなってきております。
やや意味不明になってきております。
現状といたしましては、医師にとって専門医というラベリングが、一般の方への専門性アピールをする名札としての価値はありますが、本来の診療技術等の担保にはなっていないということが問題なのです。
簡単に言いますと、ぶっちゃけ、ヤブ医者でも専門医ですし、眼科で手術がまったくできない人でも、診療経験十分でない人でも誰も彼もが専門医をもっています。
そもそも、誰でも彼でも専門医という状況がおかしいのです。
専門医というものが、特に医師の技術等においての差別化にはなっていないのが現状です。
眼科では、眼科専門医ぐらいしか持ってないですが、他の科では沢山お持ちの方いらっしゃいますよね。
医師側としては全然いいんですよ!
一般受け的にもおそらくですが、持ってたほうがいいにきまってますし。
でも、維持するのが面倒さくて、アホらしくなってきて、専門医更新するのヤーメたって方も実際にいるんですよ。
問題点としてあげているのは、一般の方の専門医のイメージと、専門医という実態が結構乖離していることなんですね。
そもそも、高齢の方とか、多くが特に気にしていなかったり。。
専門医は医療の質的担保になっているか?
新専門医取得の過程がどうとか、専門医の振り分けかたの議論、地域医療における医師の配置と専門医の関係、大学医局の復権っとかなんとか、まぁ色々あるみたいですけども、特にとり方がややこしくなるだけで、なーんも意味は変わらないのではないでしょうか。
本来の意味でいいますと、望まれるべきは、一般の方に対して、専門医資格が、実際の専門的医療の質の担保になることが重要だと思われます。
ほぼ医師全員がピンからキリまで、専門医という状態ですと、専門医の資格による医療技術の質的担保の意味が結果的になくなってきます。
専門医という資格が、内科医、外科医、皮膚科医、眼科医、整形外科医等々と、専攻分野を単に分けるためだけのもの、専攻科のトレーニングを受けました程度の意味合いであるならば、別のシステムでいいと思うわけです。
そこを専門医システムに求めているのか?
そこに、一般の方のイメージとの乖離が生まれるわけです。
そもそも、当初、日本医師会としては、医師の上に医師を作らず的な立場であったようです。
手術の出来ない専門医。診断が出来ない専門医。
例えば基本的な白内障手術もできず、十分な技量を持ち合わせていない専門医なんて、専門医としては要らないわけです。
眼底所見を十分に取れない専門医、診断できない専門医もいらないわけです。そのような医師が、普通に存在するのでビックリするのです。
また、女性に多いのは仕方がありませんが、結婚・出産後のブランクの後、専門医資格をある期間凍結して、再度、週に数日、専門医を維持することがほぼ目的で働かれる方もおられます。
自己のキャリア、アイデンティティー確立のための専門医のようなところもあり、この場合、非常に経験不足な医師でも専門医の名札がつけれていることになります。
根本的にはそのような状態の専門医も社会的には必要ないのです。
その方達が良い・悪いということをいうわけではなく、ただ専門医というラベルがいりますか?ということなのです。
ということです。
新専門医となっても、このままのシステムでは、今後もその程度のものになる可能性が高いと思われます。
一回取ったら、外科系で手術できなくても、勤務時間と学会スタンプラリーで、なんとでもなる基準で更新し続けることができるというのも如何なものかと思います。
本質的に専門医を意義のあるものにするのであれば、厳密に専門性と医療の質を担保するようなシステムの構築が議論されるべきであります。
専門医によってその難易度はバラバラです。
でもね、みんな分かってると思いますが、その基準を満たしていても、臨床的にまったくダメな医師っているわけです。
専門医受けるのに必要な手術数ぐらい手術したって、ほとんど成長できてない人も残念ながらいるんですから!
経験したって、何もプラスになってないダメな人もいるんですから。
医者10年目でも、自分1人で何も解決できない医師なんて、結構いるもんです。
専門医、昔は無試験でもとれた?
ちなみに、専門医資格のいくつかは、その昔は学会に所属しているだけで、試験はなく、半ば自動的に取得することができました。
ですからある年齢以上の専門医の方は、無試験専門医とも言われ、ただ学会に所属して100単位取るだけで、専門医の資格が与えられていたのです。
その後、その学会認定の専門医試験が導入されても、無試験のその方々は試験免除で専門医が更新することが可能となっております。
何故試験をしなかったのか?
本当の理由はわかりませんが、そのように思われても仕方がないでしょう。
眼科の場合、発足当初の眼科医は、猫も杓子も専門医ですから、維持だけは単位とれば出来ますので、その後知識の進歩が止まっている専門医のかたはたくさんおられます。
医療の質に長年の経験が必ずしも反映されるわけでもありませんので、ご注意を!
ってことで、実際、専門医の更新チェック機構はまったく、機能していません。
専門医のあり方。質の担保を目的とするには?
新専門医をどのような目的で導入するかは、そのシステムをみれば伺い知ることはできますが、本質的な目的に沿うこと願ってやまないです。
旧専門医を無に帰して、新専門医の取得・維持のハードルをかなりあげて、専門医という位置づけをとんでもなく格上げすることの方が本質的には意味のあることと思われます。
大学や、病院でその分野でかなりバリバリと診察・治療・研究をしている方のみが専門医として存在するぐらいで十分と思われます。
開業医でも、専門医が維持しにくくなる!という声もありますが、そもそも、なくてもいいのではないでしょうか?
専門医の意味が変われば、開業医で専門医を無理してもつ必要性はなくなります。
全国的に専門医の意味合いがガラッとかわれば、維持のための学会スタンプラリーもなくなり、いわゆる世間体的な意味合いでの専門医維持は必要なくなるわけです。
眼科医の質を保つ意味での専門医維持、学習効果は事実上、殆ど機能しておりません。
眼科をしているという意味だけですと、大学か何かで眼科研修修了証的なものでも作ったら間に合う話ではないでしょうか?
そもそも、最初はそんな感じで学会認定の専門医にしちゃったわけですからね。
しかしながら人間というものは一度獲得したものを奪われることには抵抗があるものです。
新専門医の認定を、かなり極端にハードルをあげて、旧専門医を一旦無に帰して、新専門医希望であれば、全員、再試験かつ現在の診療行為の厳密な評価を伴う認定としたならば、とても多くの反発を得るでしょう。
人間なんて、既得利益または既得立場を奪われることには、そちらの方が本質的な改革につながるとしても受け入れ難い感情をもつものです。
謎の専門医 総合診療専門医?総合内科専門医??
名前自体が矛盾してませんか?
ジェネラリストという専門医!?
新種の生物?新手のポケモン?
総合内科専門医?
もう、わけわからんじゃないですか。
研修医の上等版ですか?
世界的にどうとか、アメリカ的なものとか関係なく、独自性を追求して欲しい。
色々小難しくいっていても、実のところ、とんでもなくバカらしいことをしようとしていることに、気づいている人は気づいているはず。
家庭医??かかりつけ医??開業医の役割??
ジェネラリストに関連して、家庭医、かかりつけ医の話題です。
開業医に、家庭医・かかりつけ医の役割を期待することですが、眼科においては、ほとんど実態にそっていないと思われます。
開業医の多くは、金もうけをかんがえております。
中小企業ですから当然です。
かかりつけ医??
あと、プライマリケアを別に開業医が担うわけでもありません。
今から開業を考えている人は、どの科でも、別にプライマリケア、かかりつけ医、家庭医とかを考えて開業をしようとしているとは思えません。
逆に穴場ですかね??
今まで培った経験と専門的技術をもとに、自分で好きなようにやってやろう!という人が多いのでは??
眼科は関係ないと言われたらおしまいですが、眼科の場合、硝子体手術とかをバンバンして自分の好きなように仕事して、お金を儲けるために開業するのです。
別に眼科のプライマリケアを担う気なんかありませんよ。
手術できない医師や、嫌いな医師は向いているかもしれません。
医師会の仕事だって、嫌々、引き受けてるもんです。
プライマリというより、基幹病院や大学病院でしていること、もしくはそれ以上の、そのような病院で扱えない専門的なことも、開業医で普通にしてますよ。
逆に、開業医が基幹病院・大学病院に紹介するのは、ネームバリュー的な保険の意味合いが強いです。
患者の要求するネームバリュー的安心感のために、または自分のリスク回避のために、かなり時々、一部のかなり稀な疾患のために(特にどうしようもないことが多い)、利用するだけですよ。
一部の本当に特殊な手術(例えば未熟児網膜症・腫瘍系)とかを除いて、眼科においては、大学とかよりも自分とこのほうが白内障手術・硝子体手術・その他もろもろ、完全に上手ですよって、みなさん思ってませんか??実際そうだと思いますしね。。。
そうなんですよ!
白内障・硝子体手術もバンバンして、中小企業として、自分のためにお金を稼ぐのですよ!
結果、患者の需要も満たされれば、それでいいじゃないですかというスタンスです。
プライマリケア??笑わせないでいただきたい。
、、、と、毒気づいたのは、そもそも開業医制度が根本的に間違っているので、家庭医・かかりつけ医制度がうまくいかないと言いたいだけです。
上記のような開業スタンスで、家庭医制度が開業医の役割として普及するわけないのです。
特に最近の眼科開業においては、少なくとも眼科としてのかかりつけ医的なスタンスは少ないと思われます。
そもそも、医師の配置のコントロールが現状しにくいですから。
本来、この家庭医ですが、そもそも、このためにスーパーローテート制度が2004年から開始されたのです。
ご存知のとおり、まったく家庭医制度に関して、これが役に立っていると思えません。
そう、すべて、中途半端なのです。
医師偏在問題、家庭医制度の問題、開業医の問題、すべての対応が中途半端なのです。
今後、どのように、変わっていくか興味はあります。
本来、頭の良いはずの官僚たちは、するべきことは当然わかっているはずです。
ただ反対勢力がうるさいのでしょうね。
医師というよりは、開業医利権のかたまりともいえる、日本医師会のことです。
そもそも、特に大きな制限のないフリースタイル開業が続く限り、統制など、とれるはずがないのは、わかっていることなのです。
わかっているけど、できないんですよ!と、あーだこーだと中途半端な対応をして、何年も、何十年もたっていくわけなんですね。
新専門医制度も含めて、おそろしく中途半端ですね。それを、なかば、わかっていてしているところが非常に罪深い。。。
今後どうなるか見守っていきたいところです。
申し訳ありません。
医師免許がライセンス
あの、超有名な大門未知子さん、どうみても、専門医は維持できない感じ。
また、「専門医のライセンス」という言葉ですが、ライセンスという言葉の定義を考えて使った方が良いですね。
ライセンスとは、免許、許可、それがなければ違法となる行為をすることを許可するものです。(参考 Wikipedia )
一部、専門医を必要とする学会による自主的制限な行為や治療がありますが、本来の医師免許はオールマイティであるべきで、過度な学会的規制は医師のライセンスを制限することになります。
医師免許がライセンスであって、専門医は基本的にライセンスではありません。