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2回目は白内障手術、あれこれ戯言です。
白内障手術は、眼科医の手術の中でやっぱりメインというか、基本的な手術になります。
いいも悪いも、至る施設で白内障手術が行われております。
昔に比べたら手術適応は、かなりユルい感じがありますよね。
そこそこの年齢で水晶体あるなら手術しときましょうか。。とか(それはちょっとね。。)、でも、それに近い感じのところもあるわけなんです。
裸眼視力が上がれば良し!みたいな感じで手術するところもあるわけですが、結果として患者さんの満足度が高ければ、特に問題にはならないわけです。
視力の数値と質は別ものなんですね。
コントラスト感度がどうのこうの、それもわかります。
でもね、実際のところ、白内障手術やりすぎじゃないの?っていうところはあるでしょー?
そのあたりのことは沢山手術しちゃってる人も、もちろん、しっかりと思ってるはずなんですよ。ん、思ってない?
白内障の名医?神業?
一般の人への注意としては、名医とよばれて?神の手とよばれて?バンバンしてるから安心ってわけではないということです。
そもそも、神業とか必要な手術ではないですから。人間の限界の範囲で安全にできる手術ですから。
普通にしてたら症例によって数分で終わるのは普通の技術を磨いた眼科医では普通のことですからね。しかも10分かかったとしても、症例によってはとても上手にしてそのぐらいとかあるんですから。
ガッチガチのグラッグラのmatureさんを小切開のまま10分以内でサラッと終わらし、術後角膜ピッカピカならそりゃ称賛ものですよ!
白内障はピンキリです。全部、2~3分で終わるんだった、そりゃ凄いですね。
でも、器用・不器用は手術なんでありますよ。
ただ、選球眼にすぐれただけの時間重視・過大評価的?名医とよばれているボリュームサージャン達には注意も必要です。
医療と人間
まぁ、色々な意見はあると思いますが、極論を言えば、医療って人間のエゴ、欲でもあると思うのです。
いつまでも元気でいたい、長生きしたい。命に関わる病気も、なんとか治したい。これって人間様的にはいいことなんですが、極論いえば自然に抗う意味でも、人間のエゴとか欲になっちゃうわけです。
極論ですから許してくださいね。
自分も、そのエゴと欲で健康を願っていますからね。
そんな立場からいいますと、良心的な医療とか仁術であるとかは、もちろん承知のうえですが、医療的に認められていて制度上問題なければ、患者の希望に合わせて、どんどん手術しちゃうことは需要と供給的にも、まったくOKと言えるわけです。
極論的には良心や倫理とかは人間様の尺度なわけですから、無理やり手術しちゃう感が半端ないのはダメですが、そうでなければ、人間社会で決められた制度の範疇なら、手術しまくってもいいんじゃない?ということなんです。
もちろん色々と指摘されるのは、医療費的な問題で、そう、お金の問題ですね。
それは制度が改まれば、その時はそれに従ってその範囲で行うというスタンスでいいわけです。
そのような少し冷めた目線で考えると、制度の範囲でバンバン手術して、先進医療が認められているうちに多焦点もドンドン入れちゃえ的なものも、需要に対する供給であれば、それはやったもん勝ちで、手術頑張ってますねー貪欲ですよねーみたいなかんじで、特に批判的な立場でもないんです。
まぁ、倫理観とか別にして、ふつうに疲れますから、色々な意味で。自分はバンバンしませんけどね。
こんなかんじで言えるのも眼科の白内障手術だからでしょう。
でも、人間のエゴと欲にはキリがないなと思うのは、高齢者を相手にしていて日々感じるのは確かです。なんだかんだ強欲なんですよ。
明日は我が身です。でもそれが人間なんでしょうね。